鳥屋野潟に残る「舟を漕ぐ技術」を
アーカイブして未来につなぐ
鳥屋野潟と板合わせ舟の文化と記憶をつなぐ
Client | とやの物語実行委員会 |
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Creative Direction | Shutaro Matsuura |
Videography | Tsubasa Ito(kioku.) |
Video Editing | Tsubasa Ito(kioku.) |
鳥屋野潟における「板合わせ舟」の文化と技術を記録する映像を、U・STYLEにて企画・制作しました。
鳥屋野潟ではかつて「板合わせ舟」と呼ばれる舟の文化が根付き、農業、漁業、移動などで人々の生活を支え、欠かせない存在となっていました。生活や産業が変化し、周辺の道路整備や宅地化が進んだ今日では、鳥屋野潟での板合わせ舟文化を知る人や、舟を自在に漕げる人も少なくなっています。
かつてあった舟文化を実際に体験し、現在でも鳥屋野潟で用途や気候条件に合わせて自由に板合わせ舟を操ることのできる数少ない人の一人が、鳥屋野潟漁業協同組合の増井勝弘 組合長です。「舟を漕ぐ」と言っても、鳥屋野潟ならではの気候条件があり、移動や遊覧や漁など用途も様々で、それらを知り尽くした上で舟を自在に操る技術は、ただ舟を漕ぐとは異なるものです。
そのような“鳥屋野潟における”舟文化と舟の漕ぎ方を、今記録しておく必要があると感じたことから、今回の映像制作は始まりました。
特に、舟の漕ぎ方=技術に関しては、文字や言葉で伝えるだけでは十分でなく、映像として残っていることが重要と考えました。技術が、それを持つ方がいつかいなくなった際に消失してしまうのでなく、映像として視覚的に記録をしておくことで、一次情報に近い形で残しておくことができるようになります。
板合わせ舟が生活必需品でなくなった今日、文化を継承するために舟の漕ぎ手を増やすという方法は、一人増やすだけでも難易度は高く、必ずしも現実的とは限りません。しかし、映像として技術を記録しておくことで、将来的に「舟を漕ぎたい」「舟文化を知りたい/体験したい」と考える人が現れた際に、正しい情報を伝えられる環境をつくることができます。また誰でもアクセスできる映像を用意することで、その文化の存在自体を伝え、認知してもらえる回数を増やせる可能性が高まり、「担い手育成の種まき」にも繋がります。(鳥屋野潟周辺の学校における地域学習などでの使用も予定されています。)
そのような背景から、鳥屋野潟における舟の生活文化や技術を未来へ伝えるため、「板合わせ舟の漕ぎ方」を中心に、それを知る数少ない存在である潟の漁師の言葉と技を、映像で記録しました。