土地の記憶を未来の道標に
鳥屋野潟の漁と食の文化を記録する
鳥屋野潟の漁と食の文化をつなぐ
Client | とやの物語実行委員会 |
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Creative Direction | Shutaro Matsuura |
Direction | Tatsuki Kataoka |
Videography | Koshiro Shimizu(emotion videography) |
Video Editing | Koshiro Shimizu(emotion videography) |
鳥屋野潟の漁と食の文化を記録する映像を、U・STYLEにて企画・制作しました。
鳥屋野潟にはかつて多くの漁師が存在し、魚を獲って生活をしていました。人々の生活は魚をはじめとする鳥屋野潟の恵みとともにあり、潟の魚を食する食文化がありました。時代や生活の変化のなかで現在は生業としての漁業は行われなくなっていますが、現在でも鳥屋野潟漁業協同組合は存続し、鳥屋野潟を大切に思い、潟の文化を次の世代につなぐ取り組みを行なっています。
一方、生業として鳥屋野潟で漁が行われていた時代を知り、鳥屋野潟の気候風土と結びついた食文化を知る世代の方々は、年々数少なくなっています。そして鳥屋野潟漁業協同組合を含め、その文化や技術の後継者が少ないというのも現実です。
時代や社会の変化とともに、人々の生活や生業も変化するもの。昔のままであることが、最適解でない場合も多いでしょう。
しかし、その土地やそこに暮らす人々が歩んできた道の上に、私たちが生きる現在があり、未来もその道の上にあります。それぞれの時代にどのようなことが起こり、どのように人々が向き合い、暮らし、どう変化していったのか。そんな「土地の記憶」は、この先をよりよく生きるための道標になってくれると考えています。
だからこそ“今あるもの、今の人々の営みを、未来のために記録しておくこと。今ならつなげるものを、次の世代へつないでいくこと”が、現代を生きている私たちが果たす役割として大切なことです。鳥屋野潟が歩んでいる一側面を記録し、この先の世代や地域が未来をよりよく歩む一助になれば、と制作したのが今回の映像です。
今回の映像では、漁業や潟魚の食文化が盛んだった時代を知る鳥屋野潟の漁師の方々に多大な協力をいただくとともに、約1世紀にわたって鳥屋野潟とともに生きてきた石澤徳治さんによる貴重な資料映像も使わせていただきました。心より感謝いたします。